岐風尚優です。第二回目は先生の恋愛に焦点を当ててみたいと思います。(算命学の観点からの考察ですので、事実と異なる表現があるかもしれませんがご了承ください。)
寂聴先生は自由奔放な女性、恋多き女の代名詞と言われることもありました。
実際に、夫と子どもを置いて道ならぬ恋に走り、世間を敵に回したこともありました。
今よりも封建的な時代でしたから、それは大変なスキャンダラスだったと思います。昭和21年(1946年)寂聴先生24歳の時のことで、モテ星でもあり、スポットライトを浴びる天恍星に切り替わったタイミングでもありました。
先生の宿命の性情には、「人が良いので異性関係も多くなり、特に結婚後には自分も気付かないうちにトラブルに巻き込まれたりしますので、注意が必要な人です。この方の人生の最大の難関は、結婚相手を決めるときにあります。意中の人からは相手にされず、嫌な人から結婚を切望されたり、また不本意な結婚をすることになったりします。」という一文があります。
お見合結婚でしたが、当時はお見合いが当たり前の時代でしたから、当時は不本意な結婚などとは思うこともなかったかもしれません。結婚された昭和18年(1943年)は、家庭運には新しいスタートの運気が、社会運は目上とのトラブルの強い運気でしたから、この結婚は社会に出ずに家庭を守るのであれば続いたのかもしれません。
また、旦那様が普通のサラリーマンであれば人生の行く先は違ったのかもしれませんが、旦那様が大学の先生だったこともあり、交流が多い環境の中で、宿命の性情が発動してしまったのでしょう。しかしこの結婚が、文学の道へと誘う伏線になったのも事実です。
道ならぬ恋に走った結果離縁しましたが、不貞を自ら打ち明けたというのは、なんだか先生らしいと思ったのは私だけではないでしょう。寂聴先生の最大稼働力である禄存星の世界は、浮気の概念が無い世界の為、倫理的な罪悪を問うても無駄な世界でもあります。
また、陰占の命式には、正夫が2人、偏夫が1人、合計3人の男性がいます。これは結婚運をみる占技ですが、正夫は旦那様、偏夫は浮気相手を指します。命式中に配偶者のエネルギーが多くある人は、男女関係の出入りが多い人生になり、結婚離婚を繰り返したり、男女問題のごたごたで煩わされたりする可能性が高いのです。
これらのことからも寂聴先生は、命式通り=宿命通りの恋愛を貫いていたのです。
寂聴先生は、その後も道ならぬ恋を経験されていますが、奥様との交流もあったということで、寂聴先生の不思議な魅力は、敵対する人さえも魅了してしまうのだと、敬服としか言いようがありませんでした。だからといって倫理に反してはいけませんが。。。
寂聴先生が出家された理由の一つに、当時の恋愛相手との関係を絶つ為だったと言われています。
あれほど自分の気持ちに素直な方が何故出家をされたか。次回に詳しく記載しますが、様々な経験から、徐々に冷静に冷めた見方をする自分がでてきたのでしょう。それも寂聴先生の宿命なのです。自分の過ちを受け入れ、晩年には、多くの人々を救済する道を選ばれたのは、皆さんもご存じの通りです。
聖職者は純潔であれというのはもっともですが、寂聴先生のようなアウトロー的な人から発せられる言葉には、経験した人だからこそ重く、心に響くものがあります。恋愛遍歴を辿ることで、寂聴先生の人間臭さを垣間見ることができ、ますます寂聴先生が好きになった私です。
~先生のお言葉~
「愛に見返りはないんです。初めからないと思ってかからないと駄目です。
本当の愛に打算はありません。困ったときに損得を忘れ、助け合えるのが愛なのです。」
「あなたは苦しんだ分だけ、愛の深い人に育っているのですよ。」
最終回の第三回は、寂聴先生の人生の流れです。