岐風尚優です。最終回の第三回目は、寂聴先生の波乱万丈の人生の流れを見ていきましょう。(算命学の観点からの考察ですので、事実と異なる表現があるかもしれませんがご了承ください。)
寂聴先生が普通の主婦という立場から、人々に影響力を与える人になっていかれたのには、運命の流れも大きく影響していました。
総エネルギーが政治家並みであるのと、人生の枠が92歳まで外れていることも相まって、波乱万丈の人生となっていきました。
総エネルギーとは、潜在的に持っている宇宙パワーなのですが、200 点~ 250 点の標準値に対して、寂聴先生は272と高く、現実的な社会でかなり強いエネルギーを発揮できるので、政治家や事業家など、バイタリティを必要とする仕事に向いている方なのです。
では人生の枠とはどういう意味なのでしょうか。算命学では10年ごとの運気に天中殺が巡ると、通常の人生の枠が外れます。通常の運気は、一定の枠の中で行ったり来たりしていますが、天中殺によって、枠が外れ運気の急上昇・急降下の現象が現れます。そのことを人生の枠が外れると表現しているのです。
寂聴先生の場合は、天中殺と異常干支の移動条件も重なり、13歳から92歳までの人生のほとんどが、人生の枠が外れる=波乱万丈の運気となったのです。
異常干支も準天中殺と考えますが、才能開花の時期でもあります。しかし精神苦を味わいやすい時期でもあるので、精神苦があるのかをチェックしますと、33歳から42歳までの10年間が、人生の中での精神苦が一番大きかったようです。
作家としてデビューしたものの子宮作家と言われ、不遇の時代、現代で言えば干される時期も長く苦労もありましたし、プライベートでは道ならぬ恋に走っていました。
中年期の陽占天報星は、急激な急上昇と下降が伴い、人生の途中で運命が急変する星ですから、大運天中殺の影響もあり、酸いも甘いも噛み分けた時期だったのではないでしょうか。
そんな中、昭和38年(1963年)女流文学賞を受賞したことで作家としての地位を確立し、人生の流れが変わっていきました。寂聴先生41歳の時で、年運には女性が社会進出するには理想である、支合という融合条件が巡っていました。過去も大半会でしたので、今までの苦労が報われた年回りでした。
しかし43歳から72歳までの異常干支が巡っている変剋律大運では、あいかわらず精神苦がついてまわっていました。
この辛い時期の改善策は、自ら精神苦を求めることなのです。精神苦を味わうと、才能が開花し、ぐんぐん伸びて行きます。そして、いろいろな現象に対して、冷静に冷めた見方をするようになりますから、寂聴先生の、自分自身を見失ってしまうほどの激しい性質も、徐々に落ち着いていったのかもしれません。
ほどなくして昭和48年(1973年)に世俗を離れ,戒を受けて尼僧になるために出家されます。
自ら精神苦を求められたのですね。この年は、日柱が納音でした。日柱に納音が巡る時、因縁から解脱すると言われています。因縁解脱とは、新しく生まれ変わったように未来が開けるということです。まるで運命の流れを知っていたかのような決断で、鑑定をして驚きました。
算命学では宿命通りの生き方をすることで、自分らしい人生を、陽転傾向で歩むことができると考えます。
寂聴先生の人生は、波乱万丈でしたが、多くの人に愛され、生き抜いた人生のように思います。
しかし先生の業(ごう)には、人に持ち上げられ、頼りにされて頑張るけれど、いつも虚しさが残る、晩年にはその人たちから逃げられないと悟る業をお持ちです。表面と違う考え方が心の中に流れている人でもあります。
本質と表面に見せる顔が、ちょっと違う人といったところでしょうか。先生の講和では、本質を突く厳しい言葉を発しても、笑いに変える独特の講和、少し斜に構えた視点は、先生の業が垣間見えるような気がいたします。
尼僧になったことで、先生ご自身も救われることが多かったのではないでしょうか。
晩年は陽占には天庫星が巡っていますので、社会に奉仕しようとする意識が 強くなり、恩返しをしていく流れでした。
講和も無料だったと聞いています。
お金に関しても、寂聴先生のお財布は、お金が入りきらない小さなお財布でしたから、必要以上にお金に執着することはありませんでした。
晩年は、美人秘書と二人三脚で活動されていましたね。
平成26年(2014年)に寂聴先生の大運天中殺が終わり、それは運命の枠が元に戻っていくタイミングの時でした。活躍されている人にとっては、大運天中殺が終わる5年ほど前から運気が落ち込む流れとなるのですが、秘書の命式をみましたら、平成22年(2010年)は仕事運急上昇中でしたから、そんな彼女を知ってか知らでか雇ったおかげで、運気の落ち込みを回避し、最後まで自分らしくいられたのだと思います。仕事の秘書として雇ったのがナイスでした。この時寂聴先生は、この子だ!と直感で思われたそうです。
鬼籍に入られた令和3年(2021年)は、変化が多く壊れる星も巡っていました。
でも心は大きく膨らみ前進力があったので、あの世がどんなところなのか、先に旅立った大切な人に会える喜びで、ワクワクしていたのではなかろうかと、鑑定をしてみて少し救われた気がしました。
波乱万丈でも、運を味方につけ大往生された寂聴先生、強運の持ち主だったのだと思います。寂聴先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。心に残る多くのお言葉は、これからも、皆の心の支えになっていくでしょう。
最後に寂聴先生のお言葉をご紹介します。
「私は多く傷つき、多く苦しんだ人が好きです。挫折感の深い人は、その分、愛の深い人になります。」
「いろんな経験をしてきたからこそ、あなたの今があるのです。すべてに感謝しましょう」
算命学には、自分らしい人生を歩む為のアドバイスが沢山あります。自分自身を知る為のツールは、どの占いよりも多いのではないでしょうか。今回は、人生を振り返る形での鑑定でしたが、占いとは、転ばぬ先の杖として、将来を見据えて活用するものだと考えています。皆様のこれからの人生が、明るく輝く未来でありますように、算命学を通じてお役に立てれば幸いです。